周辺観光

独鈷の周辺・会津若松市の観光のごあんない

鶴ヶ城

◆鶴ヶ城

別称若松城
戦国期には当地に葦名氏の「黒川城」があり、蒲生氏郷が文禄元年(1592)に甲州流の縄張を用いて郭を築き、7層の天守閣、櫓をたて、馬出を作ったと伝えられる。また地名を若松と改め、城を鶴ヶ城と命名した。 慶長の大地震(1611)で傾き長い間放置されていたが、加藤明成の時代に鶴ヶ城の大改修に着手。大手門を北側、天守閣を5層に改め、石垣を改修・新築、出丸を拡張、空堀に水をたたえるなど鶴ヶ城を現在のような形態とした。 天守閣は戊辰の役で砲撃され、明治7年に取り壊されたが、昭和40年に内部を郷土博物館展示場として再建された。

飯盛山

◆飯盛山

「飯盛山」という名前の由来は、この山が飯を盛ったような形なので、この名前が付けられた。戊辰戦争(会津戦争)時、会津藩の少年たちで構成される白虎隊士中二番隊が、戸ノ口原の戦いでの奮戦空しく撤退する際、この地で鶴ヶ城周辺の武家屋敷等が燃えているのを落城と錯覚し、もはや帰るところもないと自刃した地でもある。「白虎隊十九士の墓」には、年間200万人ともいわれる観光客が訪れ、墓前には早すぎる死を悼む香煙がたえない。

白虎隊記念館

◆白虎隊記念館

年号が明治に改まる二週間前、会津若松城下を見下ろす飯盛山で19人の少年たちが自刃しました。 当記念館は、日本の近代化の過程で死んでいった少年たちの悲劇を中心に、会津藩士の最後、日本の 武士の時代の終焉を様々な資料を通して、目で見、心で感じ後世に伝えていくことができる資料館です。 そのほか会津藩、新撰組、西軍が使用した鉄砲、四斤大砲など戦争に関係する資料が数多くそろっています。

会津武家屋敷

◆会津武家屋敷

会津武家屋敷は会津藩家老西郷頼母邸を中心に重要文化財の旧中畑陣屋、茶室、 藩米精米所、会津歴史資料館などが軒を連ねる「歴史散策ゾーン」・会津、福島のいいものを集めた 「郷工房 古今」・会津の郷土料理を味わえる「御食事処 九曜亭」がある総合ミュージアムパークです。

会津酒造歴史館(宮泉酒蔵)

◆会津酒造歴史館(宮泉酒蔵)

宮泉銘醸の一番蔵を一般公開しています。 寒仕込みの時期に当たる冬期間は、実際の作業場となる二階展示場は 見学ができません。(そのため入場料は冬期料金の250円となります。) 酒造りの工程や歴史、酒に関する品が展示してあります。 入り口から入ったスペースに、利き酒コーナーがあります。 修学旅行シーズンは、学生さんたちでにぎわうそうです。 甘酒のサービス(冬季のみ)があります。

白虎隊士自刃の地

◆白虎隊士自刃の地

江戸時代も末期、鳥羽・伏見の戦いに端を発した戊辰戦争。薩摩・長州を中心とする討幕派が執拗なまでに矛先を向けた会津藩。戦火は会津藩主松平容保の居城、鶴ケ城を囲む戦いとなり 多くの悲劇が生まれたと言う。その中でも、鶴ケ城付近からの火災から、落城と誤認し城と共に殉じた白虎隊の話は特に有名である。飯盛山にある白虎隊自刃の地は会津に暮らす人たちの心の拠り所でもありその地は聖地として、今も大切に維持管理されている。

戸の口堰の洞門

◆戸の口堰の洞門

飯盛山を掘りぬいて作られた会津盆地の灌漑用水路。戊辰戦争の時、白虎隊が追手から逃れる抜け穴としてこの水路を利用したといわれる。

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